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日本改造法案大綱 北一輝

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    北一輝 1883‐1937

    日本ファシズムの理論的指導者。本名は輝次郎(てるじろう)。佐渡の生れ。23歳で(国体論及び純正社会主義)を著して発禁。中国革命同盟会に入り、辛亥革命のとき中国に渡り民族主義派と結ぶ。帰国後(支那革命外史)を書き、1916年再度中国に渡る。
    1919年に浪人生活中の上海で(国家改造案原理大綱)(のち(日本改造法案大綱)と改題)を執筆。帰国後猶存社に参加、宮中某重大事件などで活動し、国家主義運動の重鎮となる。
    また西田税(みつぎ)を通じて皇道派の青年将校に影響を与え、直接に指揮はしなかったが二・二六事件の首謀者として死刑。尊皇討奸

    日本改造法案大綱

    北一輝が1919年上海で執筆した著作。日本の国際的孤立、国内の階級対立激化を打開するための国家改造を述べる。3年間の憲法停止、戒厳令施行、私有財産の制限、在郷軍人を基礎とする改造内閣の組閣、華族制・貴族院の廃止などを構想。青年将校に読まれ、のちの日本ファシズム運動の経典となった。
    二・二六事件はこの著作内容の実現を目ざして起こされた。

    猶存社

    1919年大川周明・満川亀太郎らが設立した国家主義団体。日本の国家改造とアジア民族解放を標榜(ひょうぼう)。機関紙(雄叫)を発行、北一輝の(日本改造法案大綱)を刊行。
    1921年の宮中某重大事件では反山県有朋派として全社をあげて活動したが、のち大川と北とが対立して1923年解散。関連 行地社

    行地社

    大川周明が中心となって1925年に創立した国家主義団体。猶存(ゆうぞん)社の直系で、日本のファシズム化をめざした。学生内部にも入り込んだが、特に板垣征四郎ら軍部少壮派と関係を結びその後の軍・右翼結合の端緒となった。
    1927年内紛により分裂して衰退を続け、1932年神武会に発展的解消した。

    大川周明 1886‐1957

    右翼国粋主義運動の理論的指導者。山形県生れ。東京帝大でインド哲学を学ぶ。1919年北一輝らと猶存社、1924年行地社を結成。啓蒙活動を行う一方、軍部桜会の将校と接近。三月事件、十月事件に関係し、五・一五事件で検挙。釈放後は法政大学教授を務め、(米英東亜侵略史)などを刊行。
    第2次大戦後、A 級戦犯に指名されたが、東京裁判の公判中精神障害を起こし釈放。著書に(日本文明史)、コーランの翻訳がある。

    五・一五事件

    1932年5月15日に起こった海軍急進派青年将校を中心とするクーデタ事件。井上日召らと関係のあった海軍将校が大川周明から資金援助を受け、陸軍士官学校生徒と協力、首相官邸、内大臣官邸、政友会本部、日本銀行、警視庁などを襲撃、犬養毅首相を射殺した。
    一方、愛郷塾生の農民決死隊も東京近郊の変電所を破壊して戒厳令を出させ、その間、大川周明らによる改造政権の樹立を企図したが失敗。日本ファシズム台頭の契機となる。

    国家主義

    国家に最高の価値をおく考え方。個々人は国家に従属すべきものと考え、国家の中に普遍的倫理が具体化されていると考える。
    そのため、国家権力の行使は無制限となり、内に対しては権力独裁体制の危険、外に対しては国家膨張主義の危険を招くことになる。関連 国粋主義

    皇道派

    日本陸軍内の派閥。荒木貞夫、真崎甚三郎らが中心。十月事件後荒木陸相は宇垣一成陸相時代に形成された宇垣派を排除し、自派の派閥を形成。
    皇道精神を主唱するなど極端な精神主義で急進派青年将校の支持を獲得。相沢事件を起こし、二・二六事件で鎮圧されて衰退、統制派がかわった。

    二・二六事件

    1936年2月26日未明、皇道派青年将校22名が下士官・兵1400名余を率いて起こしたクーデタ事件。皇道派青年将校は北一輝に接近、昭和維新の実現をはかり、武力による国家改造を計画、真崎甚三郎教育総監罷免、相沢事件など統制派の台頭に反発し皇道派の拠点であった第1師団の満州派遣を機に蜂起(ほうき)を決意。
    斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監を射殺し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、陸軍省、参謀本部、国会、首相官邸などを占拠、陸軍首脳に国家改造の断行を要請した。陸軍首脳は戒厳令をしいたが、海軍、財界がクーデタに反対であるのをみて弾圧に転換、反乱軍の規定も〈決起〉〈占拠〉〈騒擾〉〈叛乱〉と四転。29日反乱軍を鎮圧。
    首謀者や理論的指導者の北一輝らを死刑、皇道派関係者を大量に処分、統制派が実権を掌握。岡田啓介内閣は倒れ、軍の政治的発言権が強化された。

    昭和維新

    昭和初期の右翼、一部の軍人、ファッショ陣営が用いた用語。明治維新を国家改造運動の手本とし、天皇を戴いて革命を行うという北一輝らの思想に源流をもつ。
    元老・重臣などの〈君側の奸〉、および腐敗した政党・財界を排除することを目指し五・一五事件や二・二六事件などのスローガンとなったが、二・二六事件以後用いられなくなった。

    ファシズム

    狭義にはイタリアでムッソリーニの指導下にあったファシスト党の、広義には20世紀の全体主義的・国家主義的独裁の運動理念、支配形態。イタリア語ではファシズモ fascismo。
    語源は古代ローマの儀式用の束桿を意味する fasces、転じて〈結束〉〈団体〉の意。第1次世界大戦後の資本主義の一般的危機と、それから起きた社会的・経済的混乱や社会主義革命の危機の切迫感から、その存立基盤に不安を感じた中間層が、カリスマ的指導者に率いられて起こした大衆運動。議会政治や言論・出版・結社等の自由をすべて否定し、反革命運動を推進した。
    またすべての悪の根元は社会主義・共産主義・ユダヤ人等にあるとし、偏狭な民族主義や排外主義を唱え、しばしば対外侵略政策をとった。ドイツのナチズム(ナチス)や日本の天皇制ファシズムもその例である。ただし、ファシズムを最広義に、〈共同体〉(その大小、出自、体制の相違を問わない)統合の極限的な原理ないし手法と解すれば、これを歴史的事象として清算することはできず、再出現の可能性は常にあると考えなければならない。
    その政治的・経済的・社会的側面のみならず、思想や文化にわたる機制の解明が必要とされるゆえんである。

    相沢事件

    1935年8月陸軍中佐相沢三郎が陸軍省軍務局長少将永田鉄山を白昼斬殺した事件。皇道派の教育総監真崎甚三郎の罷免(ひめん)に憤激した相沢は、統制派の巨頭永田を斬殺した。
    皇道派は相沢の軍事裁判を統制派を弾劾(だんがい)する場と位置づけて西田税(みつぎ)らが中心となって統制派を攻撃、両派の対立は激化した。相沢は二・二六事件後の1936年7月死刑。

    統制派

    日本陸軍内の派閥。中心は旧桜会系統の参謀本部、陸軍省の中堅将校。クーデタによる国家改造を否定し合法的権力樹立のために政財界に接近、皇道派の派閥人事、クーデタ計画に強く反発。
    1934年陸相が皇道派の荒木貞夫から林銑十郎に交替後急速に優勢化、軍務局長永田鉄山を中心に皇道派を弾圧。二・二六事件で皇道派を一掃し軍の実権を握り、東条英機内閣で政権も掌握した。

    東条英機内閣

    1941年10月18日―1944年7月21日。第3次近衛文麿内閣のあとを受けて成立。東条英機首相が陸・内相を兼任。11月5日御前会議で対米英開戦を決定し12月8日開戦した。東条の独裁政権的性格が強く、翼賛選挙により議会を支配。大東亜省を設置し大東亜会議を開催した。
    1944年2月内閣改造とともに東条が参謀総長、嶋田繁太郎海相が軍令部総長を兼任して国務と統帥の一本化を図ったが、同年7月サイパン陥落を契機に重臣から倒閣工作が起こり、総辞職。関連 太平洋戦争

    日本改造法案大綱 北一輝

    。此の改造法案は世界大戰終了の後、大正八年八月上海に於て起草せる者なり。「極祕」を印し謄寫に附して未だ公刊に至らざる時、九年一月發賣頒布を禁ぜらる。
    書中「何行削除」とあるは今囘の公刊に際し官憲の削除したる所、行數は謄寫本の行數なり。

    。固より削除せられたる一行一句と雖も日本の法律に違反せる文字に非るは論なし。恐くは單なる行政上の目的に出でしと信ず。
    從て何等か不穩矯激なる者の伏在せるかに感じて草案者に質問照會する等のなからむことを望む。二三枝を折るも大樹は損傷さるることなし。

    。奈翁戰爭が十八世紀と十九世紀とを劃せる如く、十九世紀の終焉二十世紀の初頭は眞に世界大戰の一大段落を以て限らるべし。(世紀の更新を十進數に依りて思考すべからず)。
    天の命、二十世紀の第一年を以て此の法案を起草せしめたるを拜謝す。從て前世紀に續出したる舊き哲人等の誤謬多き革命理論を準繩として此の法案を批判する者を歡ぶ能はず。時代錯誤とは是れなり。
    昔者娘をして其の母に背かしめんが爲めに來れりと云へる者あり。二十世紀に命じて十九世紀に背くを禁ずる革命論の多きを不審なりとす。

    。「」は固より説明解釋を目的とせるも、語辭悉く簡單明瞭、時には只結論のみを綴りし者あり。第二十世紀の人類は聰明と情意を増進して「然り然り」「否な否な」にて足る者ならざるべからず。
    現代世界を展開せしめたる三大發明の中火藥が人類を殺すよりも甚しく、印刷術の害毒全世界の頭腦を朽蝕腐爛し盡くせり。爲めに簡明なる一事一物をも迂漫なる愚論なくして解悟する能はざる穉態は阿片中毒者と語る如し。日本改造法案の起草者は當然に革命的大帝國建設の一實行者たらざるを得ず。
    從て其れが左傾するにせよ右傾するにせよ前世紀的頭腦よりする是非善惡に對して應答を免除されんことを期す。恐らくは閑暇なし。大正十二年五月 北一輝

    緒言

    今や大日本帝國は内憂外患並び到らんとする有史未曾有の國難に臨めり。國民の大多數は生活の不安に襲はれて一に歐洲諸國破壞の跡を學ばんとし、政權軍權財權を私せる者は只龍袖に陰れて惶々其不義を維持せんとす。
    而して外、英米獨露悉く信を傷けざるものなく、日露戰爭を以て漸く保全を與へたる隣邦支邦すら酬ゆるに却て排侮を以てす。
    眞に東海粟島の孤立。一歩を誤らば宗祖の建國を一空せしめ危機誠に幕末維新の内憂外患を再現し來れり。只天佑六千萬同胞の上に炳たり。日本國民は須らく國家存立の大義と國民平等の人權とに深甚なる理解を把握し、内外思想の清濁を判別採捨するに一點の過誤なかるべし。
    歐洲諸國の大戰は天其の驕侈亂倫を罰するに「のあ」の洪水を以てしたるもの。大破壞の後に狂亂狼狽する者に完備せる建築圖を求む可らざるは勿論の事、之と相反して、我が日本は彼に於て破壞の五?年を充實の五?年として惠まれたり。彼は再建を云ふべく我は改造に進むべし。全日本國民は心を冷かにして天の賞罰斯くの如く異なる所以の根本より考察して、如何に大日本帝國を改造すべきかの大本を確立し、擧國一人の非議なき國論を定め、全日本國民の大同團結を以て終に天皇大權の發動を奏請し、天皇を奉じて速かに國家改造の根基を完うせざるべからず。
    支那印度七億の同胞は實に我が扶導擁護を外にして自立の途なし。我が日本亦五十年間に二倍せし人口増加率によりて百年後少くも二億四五千萬人を養ふべき大領土を餘儀なくせらる。國家の百年は一人の百日に等し。此の餘儀なき明日を憂ひ彼の凄慘たる隣邦を悲しむ者、如何ぞ直譯社會主義者流の巾幗的平和論に安んずるを得べき。階級鬪爭による社會進化は敢て之を否まず。
    而も人類歴史ありて以來の民族競爭國家競爭に眼を蔽ひて何の所謂科學的ぞ。歐米革命論の權威等悉く其の淺薄皮相の哲學に立脚して終に「劒の福音」を悟得する能はざる時、高遠なる亞細亞文明の希臘は率先其れ自らの精神に築かれたる國家改造を終ると共に、亞細亞聯盟の義旗を飜して眞個到來すべき世界聯邦の牛耳を把り、以て四海同胞皆是佛子の天道を宣布して東西に其の範を垂るへし。
    國家の武裝を忌む者の如き其智見終に幼童の類のみ。


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