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北一輝 1883‐1937

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    日本改造法案大綱 北一輝
    http://writer.populace.biz/?eid=102

    北 一輝 子に与ふ 日本の名随筆 別巻17 遺言 作品社

    北 一輝 日本改造法案大綱 北一輝著作集  みすず書房 1972(昭和47)年8月30日第9刷 1993(平成5)年10月10日第14刷

    大川周明  1886‐1957

    右翼国粋主義運動の理論的指導者。山形県生れ。東京帝大でインド哲学を学ぶ。1919年北一輝らと猶存社、1924年行地社を結成。啓蒙活動を行う一方、軍部桜会の将校と接近。三月事件、十月事件に関係し、五・一五事件で検挙。釈放後は法政大学教授を務め、(米英東亜侵略史)などを刊行。第2次大戦後、A 級戦犯に指名されたが、東京裁判の公判中精神障害を起こし釈放。著書に(日本文明史)、コーランの翻訳がある。おおかわしゅうめい

    皇道派

    日本陸軍内の派閥。荒木貞夫、真崎甚三郎らが中心。十月事件後荒木陸相は宇垣一成陸相時代に形成された宇垣派を排除し、自派の派閥を形成。皇道精神を主唱するなど極端な精神主義で急進派青年将校の支持を獲得。相沢事件を起こし、二・二六事件で鎮圧されて衰退、統制派がかわった。こうどうは

    国家社会主義

    資本主義社会の矛盾を国家の手によって解決しようとする思想と運動。階級闘争によって社会問題を解決するという思想を否定し、国家の干渉によって社会主義的要求の一部を実現しようとするもので、その背後には、社会と個人を有機的に結合しているのは国家であるという国家中心主義の思想がある。マルクス=レーニン主義が国家の死滅を説いたのに対し、国家の統制機能は人類の社会生活が続くかぎり永遠であるとした。19世紀末のドイツで発展し、ビスマルクの社会政策などに現れ、またナチズムもこの思想を極端化したもの。日本では北一輝、高畠素之らが代表的思想家である。こっかしゃかいしゅぎ

    国家主義

    国家に最高の価値をおく考え方。個々人は国家に従属すべきものと考え、国家の中に普遍的倫理が具体化されていると考える。そのため、国家権力の行使は無制限となり、内に対しては権力独裁体制の危険、外に対しては国家膨張主義の危険を招くことになる。⇒国粋主義こっかしゅぎ

    桜会

    1930年結成された国家改造をめざす陸軍将校の結社。ロンドン条約調印による統帥権干犯、浜口内閣の緊縮財政等に不満の参謀本部の橋本欣五郎、長勇ら中堅将校が中心になり、北一輝、大川周明ら右翼、国家社会主義者とも結んで国家改造を構想。三月事件、十月事件を計画、満州事変発生にも暗躍。十月事件後解体したが一部は統制派を形成した。さくらかい

    昭和維新

    昭和初期の右翼、一部の軍人、ファッショ陣営が用いた用語。明治維新を国家改造運動の手本とし、天皇を戴いて革命を行うという北一輝らの思想に源流をもつ。元老・重臣などの〈君側の奸〉、および腐敗した政党・財界を排除することを目指し五・一五事件や二・二六事件などのスローガンとなったが、二・二六事件以後用いられなくなった。しょうわいしん

    高畠素之  1886‐1928

    社会思想家。前橋出身。同志社中退後、1911年堺利彦らの売文社に入社、マルクス主義の紹介に努めた。のち国家社会主義に転向し、1918年北一輝らと老壮会を結成、1922年上杉慎吉らと右翼団体の経綸学盟を組織。また(資本論)の全訳を1924年日本で最初に完了した。たかばたけもとゆき

    西田税  1901‐1937

    昭和前期の国家改造主義運動のリーダー。鳥取県出身。1922年陸軍士官学校卒。陸士在学中に北一輝の軍隊による国家改造論に深く共鳴、北のいた猶存(ゆうぞん)社に参加。1925年大川周明主宰の国家主義団体行地(こうち)社に入るが、内紛により退社、1927年には士林荘を結成した。こうした活動を通じて士官学校生や青年将校らと知り合い、信奉する北理論を彼らに広め組織した。二・二六事件では民間側の首謀者とみなされ、北とともに死刑に処された。にしだみつぎ

    二・二六事件

    1936年2月26日未明、皇道派青年将校22名が下士官・兵1400名余を率いて起こしたクーデタ事件。皇道派青年将校は北一輝に接近、昭和維新の実現をはかり、武力による国家改造を計画、真崎甚三郎教育総監罷免、相沢事件など統制派の台頭に反発し皇道派の拠点であった第1師団の満州派遣を機に蜂起(ほうき)を決意。

    斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監を射殺し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、陸軍省、参謀本部、国会、首相官邸などを占拠、陸軍首脳に国家改造の断行を要請した。陸軍首脳は戒厳令をしいたが、海軍、財界がクーデタに反対であるのをみて弾圧に転換、反乱軍の規定も〈決起〉〈占拠〉〈騒擾〉〈叛乱〉と四転。29日反乱軍を鎮圧。首謀者や理論的指導者の北一輝、皇道派関係者を大量に処分、統制派が実権を掌握。岡田啓介内閣は倒れ、軍の政治的発言権が強化された。ににろくじけん

    日本改造法案大綱

    北一輝が1919年上海で執筆した著作。日本の国際的孤立、国内の階級対立激化を打開するための国家改造を述べる。3年間の憲法停止、戒厳令施行、私有財産の制限、在郷軍人を基礎とする改造内閣の組閣、華族制・貴族院の廃止などを構想。青年将校に読まれ、のちの日本ファシズム運動の経典となった。二・二六事件はこの著作内容の実現を目ざして起こされた。にほんかいぞうほうあんたいこう

    ファシズム

    狭義にはイタリアでムッソリーニの指導下にあったファシスト党の、広義には20世紀の全体主義的・国家主義的独裁の運動理念、支配形態。イタリア語ではファシズモ fascismo。語源は古代ローマの儀式用の束桿を意味する fasces、転じて〈結束〉〈団体〉の意。第1次世界大戦後の資本主義の一般的危機と、それから起きた社会的・経済的混乱や社会主義革命の危機の切迫感から、その存立基盤に不安を感じた中間層が、カリスマ的指導者に率いられて起こした大衆運動。

    議会政治や言論・出版・結社等の自由をすべて否定し、反革命運動を推進した。またすべての悪の根元は社会主義・共産主義・ユダヤ人等にあるとし、偏狭な民族主義や排外主義を唱え、しばしば対外侵略政策をとった。

    ドイツのナチズム(ナチス)や日本の天皇制ファシズムもその例である。ただし、ファシズムを最広義に、〈共同体〉(その大小、出自、体制の相違を問わない)統合の極限的な原理ないし手法と解すれば、これを歴史的事象として清算することはできず、再出現の可能性は常にあると考えなければならない。

    その政治的・経済的・社会的側面のみならず、思想や文化にわたる機制の解明が必要とされるゆえんである。

    朴烈事件

    在日朝鮮人社会主義運動家朴烈(準植)と金子文子が大逆罪をでっちあげられ、のち政治問題化した事件。1923年関東大震災時、朴は同棲中の金子とともに保護検束され、治安警察法違反等のかどで起訴された。1926年3月大審院は天皇暗殺を謀ったとして大逆罪をでっちあげて両名に死刑を判決したが恩赦で無期懲役。

    7月取調べ中の2人同席の写真が流布され(首謀者は北一輝)、右翼や野党である政友会・政友本党が若槻礼次郎内閣を攻撃して政治問題化した。金子は1926年獄中で自殺、朴烈は戦後出獄し、在日朝鮮居留民団(民団)団長、李承晩政権の国務委員などをつとめ、1950年の朝鮮戦争で北朝鮮に連行され、のち南北平和統一委員会副委員長として活動。ぼくれつじけん

    猶存社

    1919年大川周明・満川亀太郎らが設立した国家主義団体。日本の国家改造とアジア民族解放を標榜(ひょうぼう)。機関紙(雄叫)を発行、北一輝の(日本改造法案大綱)を刊行。1921年の宮中某重大事件では反山県有朋派として全社をあげて活動したが、のち大川と北とが対立して1923年解散。⇒行地社ゆうぞんしゃ

    追悼「昭和維新」「尊皇討奸」「226 義の戦士」
    http://writer.populace.biz/?eid=135


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    歴史学者。徳島県生れ。帝大国史学科卒。1899年日本歴史地理研究会を組織し機関誌(歴史地理)を発刊。1901年文部省に入り、国定歴史教科書の編集に従ったが、1911年南北朝正閏問題で南北朝両立の記述が問題となり休職処分。この間法隆寺再建論を主張。以後京大、東北
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